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  • 2020.05.10

    YouTube配信記念「一口説法」第二弾

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    前回の一口説法「人生は一回的である」では、ドイツのノーベル賞作家ヘルマンヘッセの「人生は一回的である」という言葉を紹介して、人生をいたずらに空しく過してしまっては、とり返しがつかないというお話しを致しました。
    この度は、今から一千年ほど昔、往生要集という書物を著した、比叡山横川の源信僧都というお坊さんの言葉をお伝えしましょう。

    これは横川法語として伝えられる短かい文章でありますが、次のような言葉から始まります。
    「それ一切衆生、三悪道を離れて人間にむまるること、おほひなるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや、家はまづしくとも餓鬼にはまさるべし、心におもうことかなはずとも地獄のくるしみにくらぶべからず」と、
    「三悪道をはなれて人間にむまるることおほひなるよろこびなり。」とは、三つの悪い世界、すなわち、地獄界、畜生界、餓鬼界に、自分は生まれなくて、人間界に生まれたことは、大変よろこばしい事であると、源信様は宣言されました。

    次に「身はいやしくとも畜生におとらんや」とあります。畜生とは、牛や馬や羊や豚などの生き物のことで、そういう生を受けたのでなく、人間としてこの世に生を受けた事は、どんな家や境遇に生まれたとしても、人間に生まれたということを先づ単純に喜ぶべき事を示されたのであります。

    次に「家はまづしくとも餓鬼にまさるべし」とあります。餓鬼の世界は、経典に依ると空腹にたえかねて、目の前のご馳走を喰べようとすると一瞬火になって燃えてしまうと描かれています。今日でいえば、我々が反物質の世界へ入ったようなものであります。

    「こころにおもうことかなわずとも地獄の苦しみにくらぶべからず」とは、この世で私共が自分の思い通りに世の中が運ばなくて苦しみ悩んだとしても、地獄へおちたものが受ける苦しみに比べたら、とるに足らないささいな苦しみに過ぎないという意味であります。

    地獄という世界が、本当にあるのかというご質問を受けそうでありますが、それについては、次回にお話させて頂きましょう。

    ともあれ、源信僧都という方は、「三悪道をはなれて人間に生まるること、おほひなるよろこびなり。」と、「人間に生まれたことをよ喜ぶべし」と声高らかに宣言されたのであります。

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