白蓮華堂からのお知らせ
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2020.05.07
YouTube配信記念「一口説法」
ドイツの詩人であり、小説家であるノーベル文学賞を受賞された作家にヘルマンヘッセという方がおられました。
今世界の若者達で、人生いかに生きるべきかを考える人々の間で、このヘルマンヘッセの作品が、人気を集めていると、最近来日したアメリカの知人が、私に話してくれました。高校生の頃、私も、ヘッセの詩や小説を読みふけって、強い感銘を受けたものです。
その彼の作品の中で、ある時、「人生は一回的である。」という言葉に出会った時、強烈なショックを受けた記憶があります。
「人生は一回的である。」何でもない言葉のようでありますが、これほど恐ろしい言葉はありません。「人生は一回的である。」別に何も深く考えないで生きている人にとっては、見過してしまう言葉でありますが、何かを求めている人にとって、これほど深い意味を持った言葉がありましょうか。
「人生は一回的である。」今私が生きているこの人生は、一回しか与えられていないのです。人生をやり直してみるということはできません。自分の人生を、誰かに代ってもらうこともできません。また、誰か他の人の生きかたがどんなにステキなものであっても、その人の人生を私が代って生きる訳にもいきません。私の人生は、私にとって、かけがえのない大切な、大切な人生なのであります。
仏教では「人身受け難し、今すでに受く」と申します。 「人身受け難し」とは、この人間界に生まれて、人間として生きさせて頂く機会に恵まれたことは、尊い有難い事だという意味です。「今すでに受く」とは、その生まれ難い人間界に、今私は生まれさせて頂いているのだという、驚きと喜びの言葉であります。
あなたは、 「人間に生まれた事はあたり前の事で、別に特別尊い事でも喜ばしい事でもない。」と考えてはいませんか。
私たちが人間として生を受けた意味はどこにあるのでしょうか。
仏教の世界では、生きとし生けるものすべてに仏様の愛が平等にそそがれていると考えます。それを「山川草木 悉有仏性」とも表現しています。仏様の愛は、万物に平等にそそがれてはいますが、私どもは今、人間としてここに生まれ、命の大切さに目覚め、仏様の愛を感ずることができる人間として生まれたことが、どんなに大切なことかを味わわせて頂きましょう。
「人生は一回的である。」というヘルマンヘッセの言葉をかみしめ、仏様の愛にふれて自分の人生に恨みを残すことのない、人間として生きて良かったと喜べる世界を見出そうでは、ありませんか。