2020.04.02
[こころのライフワーク]Vol.09
煩悩と共に生きる
ご好評いただいている新宿瑠璃光院のコラム『白蓮華堂便り』。今シリーズは、光明寺住職・大洞龍明著『こころのライフワーク』(主婦と生活社)から連載して参ります。皆さまの人生がより豊かになりますよう、お手伝いできましたら幸いです。
ガンといっしょに生きる
前回、浄土門における煩悩の捉え方は「煩悩即涅槃」であり、煩悩は大きければ大きいほどよく、煩悩を断つなど無用であるばかりか煩悩といっしょに生きよう、という浄土門の教えについてお話をしました。今回は、それを更に深く掘り下げ、煩悩についてお話を続けたいと思います。
一病息災、という言葉があります。持病など一つもなく、健康そのものよりも、何か一つ持病があったほうがかえって身の災いがないという俗諺です。俗諺ですが、そこには庶民の深い智慧があるように思えます。
最近は、ガンといっしょに生きる、という医療の考えがあります。ガンとわかったら即座に剔出するという従来の発想から、有効な完治の手立てのないガンであるなら、そのガンを体内に残したまま、ガンといっしょに生きてゆこう。そういう考えが一般の人にも受け入れられつつあります。
これはどことなく、煩悩を取り払うという発想から、煩悩といっしょに、煩悩の中で精いっぱい生きていこうという浄土門の教えと似ているように思えるのです。
自分のものなど一つもない
お釈迦さまが宝間比丘(ほうけんびく)という大変頭脳明晰なお弟子さんに与えられた公案に、「汝、慎んで盗むこと勿れ」というものがあります。この公案についてはまた機会があれば詳しくお話できればと思いますが、この時宝間比丘は長い思索のすえに、自分の体を自分のものと思っているけれども、それは天地万有の気を受けている、自分のものなど一つもないのだと知ったわけです。
自分のものなど一つもない、それなのに、私はこうして、今日も命を保ち、煩悩のただ中にいるとはいえ、今日一日を生きることができた、そのことに感謝したい気持ちになります。
人間としてこの世に生まれてくるのは、奇跡といってよいくらい稀なことだとすると、この世に生を享けたわが命を拝みたくなります。ややもすると自分の命を自分勝手のものと思い、時に命を粗末に扱いがちになる。これはとんでもない思い違いであることがわかると思うのです。
悟りの真髄を一輪の花に託す
禅に「拈華微笑」(ねんげみしょう)という公案があります。
世尊、昔、霊山会上に在りて、花を拈じて衆に示す、是の時衆皆黙然たり。惟だ迦葉尊者のみ破顔微笑す。
霊山は霊鷲山(りょうじゅせん)のことで、阿闍世(あじゃせ)王子の悲劇のあった王舎城の近くにある山です。お釈迦さま(世尊)はしばしばこの霊鷲山の山頂で、大勢の人を前にして説法されました。まず、そうした光景を想像して下さい。
その日も、大勢の人が集まってきて、中の一人がお釈迦さまに一輪の金色の蓮華(睡蓮)を差し上げました。すると、お釈迦さまは受け取って、黙ってその花を聴聞に集まってきた人に向けて、見せました。群衆は、それが何を意味しているのかわかりません。その中で、ただ一人摩訶迦葉(まかかしょう)尊者だけがにっこり微笑んだというお話です。
摩訶迦葉はお釈迦さまのお弟子の中の第一の人で、釈尊が入寂されるとその跡を継ぎました。
この公案のいわれは、大層弁舌にすぐれたお釈迦さまが言葉をつくして説教されてもなお、釈尊が訓られた真理は実に微妙なもので、字や言葉では言い表されない、その悟りの真髄を一輪の花に托して、参集者に示されたというところにあります。
「これが、私の悟りだ」
それがわかったのは摩訶迦葉尊者だけで、尊者は思わず笑みをこぼしてしまったのです。
公案のつづきに、「不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す」と釈尊がおっしゃられたと書かれていて、禅宗の有名な「不立文字」「教外別伝」はまさに、この公案に淵源を持つわけです。
大谷大学で教わった土岐善麿先生、耳をつんざく雷雨の中でも、声調一つ変えず講義を続けられた先生ですが、すぐれた歌人でもあられて、こんな歌を詠んでおられます。無論、拈華微笑をふまえての詠です。
わが庭の花をひねりて遊べども
近所の子らはほほえみもせず
かつての日、薫陶いただいた先生の面影が彷彿としてしのばれます。
煩悩と涅槃は背中合わせで、そこに存在することを感じていただけましたでしょうか。拈華微笑の公案は禅の世界の話ではありますが、浄土門にとっても無関係とはいえないようです。
次回は、浄土門からみた拈華微笑をつうじて、この世に示される阿弥陀さまのお姿について考えていきたいと思います。
【著者略歴】
大洞龍明(おおほら たつあき)
1937年岐阜市に生まれる。名古屋大学大学院・大谷大学大学院博士課程で仏教を学ぶ。真宗大谷派宗務所企画室長、本願寺維持財団企画事業部長などを歴任。現在、光明寺住職、東京国際仏教塾塾長。著書に『親鸞思想の研究』(私家版)、『人生のゆくへ』(東京国際仏教塾刊)、『生と死を超える道』(三交出版)など。共著に『明治造営百年東本願寺』(本願寺維持財団刊)、『仏教は、心の革命』(ごま書房刊)がある。