2016.12.01
[こころのライフワーク] プロローグ
~第二の人生を送るための準備~
ご好評いただいている新宿瑠璃光院のコラム『白蓮華堂便り』。新シリーズは、光明寺住職・大洞龍明著『こころのライフワーク』(主婦と生活社)から連載して参ります。皆さまの人生がより豊かになりますよう、お手伝いできましたら幸いです。
人生をいかに成就させるべきか
定年退職後の人生をどのように歩むべきか――。
50代、60代になり、このような悩みを抱えている人は多いでしょう。テレビや雑誌では、第二の人生を謳歌するための一つの案として、趣味を持つことやボランティア活動に尽力することが推奨されています。高齢者同士が結集して新しい事業を起こしたケースが紹介されることもあります。
私はこうした報道を見るたびに、「趣味やボランティア、あるいは第二の仕事をすることで、果たして真の満足感、日々の充実感がもたらされるものであろうか」と疑問に感じていました。
趣味やボランティアに明け暮れる生活を、悪く言うつもりはありません。若い頃には持ち得なかった自分の時間と、贅沢をしなければ夫婦2人が食べていけるだけの蓄えとがあり、趣味やボランティアに精を出す――。こうした日々は、なるほど、それなりの満足感や充実感を得られるに違いありません。しかし、それで、「いつ死んでもいい。自分の人生は成就した」と思えるほどの満足感に浸れるでしょうか。
60歳を越えると、あるいは定年を迎えると、残された人生の年数に限りがあることを実感するものです。そして、「自分の人生をどうにか成就させたい」と切実に感じるはずです。趣味やボランティア、仕事から得られる手応えは、30代、40代のときに感じていたそれとさほど変わりません。ゆえに、今みなさんが抱いている「人生を成就させたい」という切なる願いを満たすには、いささかもの足りないのではないかと思うのです。
では、人生を成就させるためにはどういう生き方をすればよいのでしょうか? 大変難しい問いではありますが、仏教を学ぶことが、一つの光明になるのではないかと私は考えています。
仏教は役に立たない。しかし、それがいい。
人生の残り時間に思いを馳せたとき、仏教を学びたいと考える人は少なくありません。なぜ、人は仏教を学びたいと考えるのでしょう。また、そこにはどのような効能があるのでしょうか。
仏教学者の故・鎌田茂雄先生は、以前、こんなことをおっしゃっていました。
「仏教をいくら学んでも、ぜんぜん役に立ちません。しかし、役に立たないものをやるというのが、またいいんです。今までは役に立つこと、生活のため、家庭のために、会社のために、あるいは自分のために一生懸命働いてきましたが、仏教は役に立たないからいいんです。何の役にも立たない。けれど、一つ大きな役に立ちます。仏教を学ぶことで、考え方を180度、変えることができます」
何とも含蓄に富んだ言葉だと思いませんか?
仏教とは、端的にいえば、「生と死を超える道」です。そのようの道を歩んだところで、何の効用も利益もないかもしれません。しかし、鎌田先生がおっしゃるように、「考え方を180度、変えることができます」。
次回以降、このコラムでは、私がこれまで見聞きしたエピソードをまじえながら、仏教の教えを紹介していきます。当コラムが、考え方を変え、真の充実感を得るためのささやかなヒントになれば幸いです。
【著者略歴】
大洞龍明(おおほら たつあき)
1937年岐阜市に生まれる。名古屋大学大学院・大谷大学大学院博士課程で仏教を学ぶ。真宗大谷派宗務所企画室長、本願寺維持財団企画事業部長などを歴任。現在、光明寺住職、東京国際仏教塾塾長。著書に『親鸞思想の研究』(私家版)、『人生のゆくへ』(東京国際仏教塾刊)、『生と死を超える道』(三交出版)など。共著に『明治造営百年東本願寺』(本願寺維持財団刊)、『仏教は、心の革命』(ごま書房刊)がある。